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帰りたい:私だけのふるさと 笙野頼子さん 三重県伊勢市

毎日新聞 2008年12月11日 東京夕刊

宗教史と自分史、重ねて

 3月の嵐の夜、母の実家のある四日市の海のそばで私は生まれました。生まれてから一昼夜、仮死状態でした。100日後、母と共に両親の住む伊勢に帰りました。そこが、私の故郷となりました。

 伊勢は、伊勢神宮のある、いわゆる門前町です。古代日本において東方経営の要地であり、当時から既に国家に重用視されていた。土地そのものの歴史よりも日本の宗教政策史を歩まされてしまったような、独自な場所なのです。

 かつては土着の神様もいたのですがこの土地柄ゆえに、古代の早いうちから中央の神と関係付けられたり、消えたりしたようです。しかしこういうことを知ったのは伊勢を出てからでした。それも小説を書くようになってからやっと。

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 なんだ、古代の話かと言わないでください。その後も聖域であるが故に独自の道を歩んだ土地なのです。

 日本の宗教は、平安時代既に、神仏習合と言って、仏教と神道が仲良く混在しているようなおおらかな状態でした。

 伊勢には度々、これを制限しようとする政策が取られた。それでも江戸期には神宮のそばにお寺が200くらいあったのです。しかし火事でもあるとその後は建てさせなかったりした。明治維新の神仏分離の時も徹底していました。明治のも単に宗教の話ではなかった。近代国家になるための政策だったようです。

 遠足でよく行った朝熊山は、漁や航海の時の目印にする山で信仰の対象でした。金剛證寺(こんごうしょうじ)というお寺もあり、お山もお寺も昔は伊勢神宮と一体のものだったそうです。住んでいて何も知らず登っていました。

 親は元々伊勢と関係なく父方のルーツは鈴鹿、母方は奈良の室生村です。親も私も伊勢の食べ物や人や景色をとても好きで、父は会を作り「地元」のためにまだまだ頑張っています。ただ思春期までの私は、故郷に過ごしにくい場所という感じを抱いていました。その原因がまさか宗教史的なものとは知らなかったけれど。

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 高校を出てから名古屋、京都、東京、と転々とし今は家を買って千葉にいます。転居するたびに自分の故郷を発見していきました。

 京都と寺院の関係、江戸と首都の重なり、千葉では神仏習合がそのまま残っているのを取材したり、その度伊勢という原点に、気付かされることになった。

 そこから宗教史と自分史を重ねた「金毘羅」などのような作品を書くようになり、ここ数年は特に、伊勢に育ったことが私を作家にしたのだと思えるようになりました。

 これからもずっと、どこにいても伊勢を見ていようと思っています。

<聞き手・中川紗矢子/え・須飼秀和/写真・内藤絵美>

■人物略歴
作家。1956年生まれ。81年に「極楽」で群像新人文学賞。94年「二百回忌」で三島由紀夫賞、「タイムスリップ・コンビナート」で芥川賞を受賞。本文中の「金毘羅」は自伝的な色彩の強い小説とも言われている。

※http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081211dde012070015000c.html 2009年1月11日まで掲載されていた記事を許可をいただいて掲載しています。