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近況という名の、真っ黒なファイル

update:2008/04/24

「文藝」2007年冬季号

笙野頼子

 十年使ったオアシス30SXが壊れてすぐ、『だいにっほん、おんたこめいわく史』を書くしかなかった。ラノベ的表現、メタフィクション、私視点の相対化と並べるとただの実験だが、やりたかったのは主語なき言説と反権力の劣化について、宗数的自我と近代的自我の突き合わせ等、結局は身の回りの問題」であった。ニュー評論家に言わせれば「女の愚痴」であった。やるしかなかった。拷問の跡のある左翼の体を根拠に、近代文学の牙城として立った戦後の文芸誌群像、その、延々と続いて来た国家
対抗文学の系譜、後々、グローバル経済の中で見えなくなってしまうかもしれないその道筋を、なんとか開いておきたい。バイパスを残したい。と私ごときが思い始めたのだ。そんな大事業が出来るやらどうやら判らなかったが。ともかくやりたかった。

 野間文芸新人賞の選考委員をいきなり首になってひとり記者会見をやった後も、「残務」が続いた。それらが、「ああ済んだ」と思ってワーブロに向かったら、いきなりブラウン管が夕暮化した。その後十五分で夜になってしまった。そこにだけ寿命が来たのである。目にいいから使っていたブラウン管の、そのタイプはもう製造中止だった。やっと島本理生さんのエッセイを思い出した。若い彼女が中古を買ったのだ。ワープロそのものがもう生産されていない。

 千葉に住んでから滅多に出なくなった新宿副都心の大ビル一階にある、専門店に行った。ブラウン管タイプを探したがなく、液晶タイプを買った。提げて帰ってすぐに取りかかった。「お」と打ち込んだ時にいきなり「オリックスブルーウェイブ」と変換された。三日で、百五十枚。

 群像復帰第一作は新年号予定だった。追放期間はどこを起点とするかで異なるけど、私には長かった。その時点で私が考えていたのは、文学全体に新しい世界をつけくわえるというような大きな事ではなく、群像という雑誌における祖父母世代の「継承と発展」であった。マルクス主義が空洞化しその後個人は世界と剥き出しに対峙したのだ。その対峙の中で左翼ではない私も、国家と、というより見えない力と対決する方法を求めていた。見えない事へのおそれを残したまま見える線を一本でも引きたいと思った。作中ではひ弱い宗教団体と右も左もないようなぐさぐさのネオリベを対比させた。右も左も男も女も判らぬ中で、ロリペドというのは核心を突く具体的な構造ではあった。そしてあまりにも無責任にはびこる、世界的表現形であった。

 かつての左翼の敵は何であったか判った。でも左翼に失望しあるいは失望するように国に仕向けられて今の世相がある。敵は見えない。文学にしても自然仁義ロマン仁義の二項対立では何も判らない。今の時代状況を読者に見せたいという望みと共に、自分なりの覚悟で私はラノベ的な表現を作品に取り入れた。狂ったネオリベの世を描くために。たまたまそれは舞城氏の長編と並べられた。従来の文学の多くは戸惑った。が、ネットの書き込み反応には良いものがあった。SFの読者やひとり運動家から良い反応が得られた。が、ーー。

 硬直化した、劣化文学的な反応には呆れ果てた。復帰作は群像1月号創作合評に取り上げられたものの1玄月氏による作者の行動に対する根拠のない憶測、2高井有一氏による故意の中傷、3田中和生の味方ぶりっこの中で理解のふりをした捏造にさらされた。後は自筆年譜にあるとおりと書きたいところだけれど実はいわゆる「氷山の一角に過ぎない」のだ。いつかはこの件で新書でも出したいと思っている。まあでも年譜よりハードな日々が流れ、猫ニ匹の死は無論まだ辛い。

 私を追放したI編集長はその後、群像にさして大きい影響を与えないポジションに二年異動されていた。がその後、私を急に選考委員から降板させた偉い方の下で、出版部管理職にご出世なさった。その後、さるパーティの二次会で「Iさんの許可をいただいて告げる群像への提案」として、「群像の評論は最近もうひとつだ、田中和生さんその他二名にもっと群像で頑張ってほしい」というご要望が多くの人々の前で、しかも「群像の編集長より偉いのは社長だけ」と防われる程独立的である、当の群像の編集長をさしおいて発表された。その中に私が選考した評論家の名はひとりも入ってなかった。その後その二次会では私にスピーチをせよというお達しがあり、しかし私の発言内容は何度もI氏の許可を得て発言した方によって遮られた。その直後群像の親切な新編集長は他の部署に異動した。

 このI氏の傘下で三部作の第二作目『だいにっほん、ろんちくおげれつ記』は出版される。三部作の完結が遅れているのは、(私に事後告知しかされぬ形で、帯の回収がされた。年譜参照)文芸文庫の解説を書いたりする仕事等を、講談社から次々依頼された事も一因ではある。ただ、それは後から考えてみると困る事態も含め、自分自身の闘争の良い刺激になったと思う。

 さて、そして先月の群像には田中和生氏の「フェミニズムを越えて」という論文が掲載された。実在の女とテキストの女、またフェミニズム思想と女の作家自身、女という概念、女という個人、それらを全部区別せず仮想敵として丸め込んだ作文であるが、私に批判されたいという売名目的(疑う者は田中和生、絶叫師タコグルメで検索してください削除される事はないだろうけれど群像では引用もします)が個人的にはあり、またその他には文学の新しいフレームのひとつを差し出した行為を無効化するという目的がある。氏の論考には『だいにっほん、おんたこめいわく史』がこのまま続く事が要するに不毛だと書いてあるのだ。三部作完結前の群像にそう書かれた私は、この後の号で、この社の他の什事によって遅らされた三部作を完成させる。無論、田中氏にこれだけの「言論の自由」があるのは喜ぶけれど、さあ、でも今から俺の言論の自由の方はとこへ行くのかなあ前もいろいろあったしなあと悲観的に思ったりする。一方田中氏は「ポストモダンを越えて」という論考を文學界の先月号にも書いている。「アナキズムを越えて」や「郊外暴動を越えて」に出来ぬへたれも笑うが、まるで明治時代も越えてないような、上つ方に媚びた御論考である。

 この三部作は現代思想生野頼子特集を支えて下さった一見地味な、しかし中には靖国、沖縄問題等における筋の通った活動家も含まれる評論の方々から強く期待され、また「水晶内制度はブロッホのベルギリウスの死に似ています」というブロガーK氏や、笙野頼子ばかりどっと読むという名の精読ブログからも待たれている。素人ブロガーの名をここに出してどうするかと言われそうだが田中氏のミスを指摘できる素人は沢山いるのである。そんな中で私は田中和生という「二次元(参照群像十一月号拙論争文)」を跨いで、この三部作をなんとしても群像で完結させたい群像の文学は白山を得て前に進むのだという祈りを込めて、無論その後はたちまち三個目の石にもかじりついて三作目の本もI氏傘下で頑張って出して「さしあげよう」と思っている。妥協は一切、せぬつもりである。

 そういうわけで、黙って三部を載せるわけにもいかぬので群像十一月号には一応論考を書くというか田中氏をだしにして三部作の意義とアヴァンポップについて述べ、彼のこの論文がまさに『絶タコ』
の後書きに書いた通り「女性文学と九十年代を見ない事にしてこそ仕事のある」ニュー評論家のものであると示した上で、ワーブロに向かう。

 昨年は一生で一番忙しい年であろうなどと自分では思っていた。でも、今年は、何かいつも八時間
置きにゲラのファックスが来ている日が続く。対談だけでももう八回。しかしその対談は全部役に立った。

 『現代思想』ではシュレジンガーやニーチェの自我のあり方を教えて貰い、折口信夫についての間違いを教えられ、創作合評だって山田茂のおトイレ小説を取りヒげて「アケボノノ帯こに一匹及した事でどこぞのフロイトラカンヲタが書いたふんづまりおトイレ小説(実際は出すものもない糞ゼロ小説)への批判を短くすませられた(だってあんなのどうせゼロだから。ゼロ世代を超えたらゼロだけであった)。ラリーマキャフリー氏との対談も世界のネオリベ傾向に気づかせて貰った。後はワールドコンのアヴァンポップパネルディスカッションで気づいた事、一部近代文学の劣化ファクターのひとつとして、内面の軽視と同行する、SFの抑圧という事を再確認した。直木賞のSF差別も同じものだと。

 ワールドコンの会場ではで『二百回忌』イタリア語訳の話が来た。SOGの姉的賞であるティプトリー賞の受賞者から英訳の手順を教えて貰った。私は海外に出ないのだがこういうところに行くとエージエントもいて、出て行ったのと同じようになると今回判った。今回の文藝の対談では野崎歓氏から
フランスでの出版について教えて貰った。一方ーー。

 あらゆる事に興味がなくなって家は本当に廃墟である。その上、子供の頃から[ああこれがずっとしてみたかったんだ」と思ってきたような切ない事をした。でもそれさえ、一月にルウルウを五月にカノコを亡くして、生きる理由が大幅に減ってしまった結果みたいにも思う。「分魂さん」は今刀の形になっている。夏の間は七月に長編のピークがあり二十五枚ずつ原稿を書いて(三百四十枚分)メールで毎日送っていた。今年『ちくま」の連載をルウルウの死で一回落としたのは、書けなかったからではなく発表したら死ぬと思ったから。原稿は出来ていた。この特集も猫の事がまだ悲しいので猫写真があまり出せず、その代わりに室内の写真を撮って出した。

 写真を撮っていたその時に思ったのは柄谷の言う「風景」のインチキさだった。柄谷批判は口頭でラリー先生にも、ワールドコンでもした覚えがある。でも案外世界に向かったら「誰それ?」って言われてるかもしれないという気が最近してきた。ふんづまり小説の作者がアヴァンポップを自然主義と呼ぶ言葉のこのお気楽さ加減も、結局あの二項対立の口まねである。ふんづまりは女を無視するよ
うだがまあ「アケボノノ帯」や『レストレス・ドリーム』をなかった事にしなければさぞかし文学の更新だのなんだの言いながら連中特有の保守退行化の袋小路で吠えたける事も難しかろうと思うし。他に、坂東眞砂子批判を先月終結した。坂東氏がパートナーと別れてタヒチを出、イタリアのリド島に住んでいると知ったから。要するにタヒチ名物仔猫のぶん投げはもう出来ない。(この件をネットに伝えれば虐ヲタの論理のひとつが破綻するかも。『ちくま』九月号にも書いておいた)

 さてこうして近況を書くと、生活の言葉が何も出ない。何を食べたか、三日前の仕事も答えられないほど今は忙しい。忙しさを説明する時間さえなくなってしまって、目の前にあるのは何か真っ黒なファイルのようなもの。ワープロの前で次々とそれを開いている。