「虚空人魚」
「群像」1990年2月号インタビュー 新人作家33人の現在
「文学界」1990年5月号「夢の死体」
「群像」1990年6月号「イセ市、ハルチ」
「海燕」1991年2月号「なにもしてない」
「群像」1991年5月号「アクアビデオー夢の装置」
「すばる」1991年9月号「作品が全て」
「海燕」1991年10月号「十年目の本」
「本」1991年10月号『なにもしてない』野間文芸新人賞受賞
講談社「背中の穴」
「群像」1991年10月号「今している事」
毎日新聞1991年12月6日「レストレス・ドリーム」
「すばる」1992年1月号「笙野頼子—十年ぶり二度目の新人賞」
「現代」1992年1月号「賞と幻想」
「群像」1992年2月号「引っ越しの時間」
「海燕」1992年2月号「短針が動く」
「新刊ニュース」2月号「ヌイグルミといる」
「文藝」1992年夏季号中野のプール付きオートロックマンションに転居
「居場所もなかった」
「群像」1992年7月号「大地の黴」
「海燕」1992年7月号「夢の中の恐怖」
「ミス家庭画報」7月号捨て猫キャトを飼い始める。
「レストレス・ゲーム」
「すばる」1992年10月号「硝子生命論」
「文藝」1992年冬季号「ふるえるふるさと」
「海燕」1993年1月号「増殖商店街」
「群像」1993年1月号『居場所もなかった』
講談社「レストレス・ワールド」
「すばる」1993年3月号「無名作家の雑文」
「太陽」1993年4月号「幻視建国序説」
「ブックTHE文藝小説1」「脳内フランス」
「太陽」1993年5月号「オートロックの怪」
「太陽」1993年6月号「言葉の冒険、脳内の戦い、体当たりの実験」
「新刊展望」7月号「会いに行った——藤枝静男」
「群像」1993年7月号「トレンド貧乏」
読売新聞1993年7月1日『硝子生命論』
河出書房新社インタビュー 現実と幻想を見極めたい
「サンデー毎日」9/5号「歌わせる何か——ドリー・ベーカー」
「群像」1993年10月号夢の中の体——松浦理英子『親指Pの修業時代』
「文藝」1993年冬季号「一身上の感性——小山彰太」
「群像」1993年11月号「水に囲まれている」
「アクアス」11月号「現代美術入門講座 境界線上のアート」
「太陽」1993年11月号「二百回忌」
「新潮」1993年12月号「ガラスの中の葛藤」
東京新聞11月6日「狂熱の幻視王国——渋さ知らズ」
「群像」1993年12月号「水晶の交響」
東京新聞11月13日「透明製造人間」
東京新聞11月20日「猫と透明」
東京新聞11月27日「下落合の向こう」
「海燕」1994年1月号「レストレス・エンド」
「文藝」1994年春季号捨て猫ドーラを飼い始める
『レストレス・ドリーム』
河出書房新社「母の縮小」「海燕」1994年4月号
「テレビゲームと観念小説」
「すばる」1994年4月号「背表紙と十二単衣」
「波」1994年4月号松浦理英子/笙野頼子対談 書想倶楽部”男根主義”を超えて!
「SAPIO」4/28号松浦理英子/笙野頼子対談 もの言う太鼓(トーキング・ドラム)のように
「文藝」1994年夏季号「アケボノノ帯」
「新潮」1994年5月号「タイムスリップ・コンビナート」
「新潮」1994年6月号『二百回忌』三島由紀夫賞受賞
新潮社「死者も生者も来て踊る——『二百回忌』」
朝日新聞6月7日「本の中の真空」
「インタビュー 不思議だが本当だ」
三島由紀夫賞受賞インタビュー 装置としての差異
「すばる」7月号「タイムスリップ・コンビナート」で芥川賞受賞
「フルサトマトメテ忘却ヲ誓フ」
東京新聞7月18日「東京グラデーション」
共同通信7月19日「フルサトマトメテ忘却ヲ誓フ」
読売新聞7月20日「六時間のメモ——『タイムスリップ・コンビナート』」
共同通信7月24日「野間新人賞・三島賞・芥川賞・作家・笙野頼子」
「週刊文春」8/4号「シビレル夢ノ水」
「文学界」9月号「雨のヌイグルミ掬い」
毎日新聞8月18日インタビュー 私への評価は初めての受賞以来まっぷたつ
「週刊現代」8/27号『おカルトお毒味定食』
河出書房新社インタビュー 最近面白い本を読みましたか
「クロワッサン」10/10号インタビュー 芥川賞の使い道?
「エフ」10月号新芥川賞作家対談 笙野頼子/室井光弘/辻原登 居場所は見つかったか
「文学界」10月号『タイムスリップ・コンビナート』
文藝春秋「こんな仕事はこれで終りにする」
「群像」11月号「コップの中の嵐、の中」
「中央公論」11月号「人間の王国——『硝子生命論』」
「太陽」11月号「九〇年代の半ば」
東京新聞11月26日『極楽 笙野頼子初期作品集1』
河出書房新社「虎の襖を、ってはならなに」
「海燕」1995年1月号「走っている、曲がっていく、刻む、スピードとテンポ、激しい愛」
「新潮」1995年1月号読売新聞の書評欄執筆を担当(1996年12月まで)
「水源の力——マックス・ローチ」
「文学界」2月号インタビュー 笙野頼子イズム
「鳩よ!」2月号対談 川村湊「言葉が言葉を生み出して…」
「新刊展望」3月号「一年分のイメージ」
「へるめす」3月号「特集・女の言葉 現実と戦うために夢のかたちを借りる」
「広告批評」4月号「珍しくもないっ」連載1995年4月号〜翌年3月号
「太陽」4月号雑司が谷に転居
「生きているのかでででのでんでん虫よ」
「群像」7月号「街角のオウム」
共同通信6月『言葉の冒険、脳内の戦い』
日本文芸社「母の発達」
「文藝」秋季号インタビュー 夢で分かる自分 作家と夢
「鳩よ!」9月号なぜ新聞は文学作品に半年ごとの勝敗をつけるのか
「週刊現代」8/19・26合併号「太陽の巫女」
「文学界」10月号「黄色い戦争」
日本経済新聞10月1日「野方、夢の迷路」
「本」11月号「これを書いた」
「IN★POCKET」11月号『増殖商店街』
講談社「日帰りの伊勢」
中日新聞11月29日「パラダイス・フラッツ」連載1996年1月号〜翌年1月号
「海燕」1996年1月号「渋谷内浅川」
「新潮」2月号『HYPERVOICE』エッセイ「眼球の奴隷」
ジャストシステム「母の大回転音頭」
「文藝」春季号対談 川村湊「言葉が言葉を生み出して…」
「新刊展望」3月号「忘れていた」
日本近代文学館ニュース3/15号『母の発達』
河出書房新社「東京すらりぴょん」連載毎日曜4月7日〜6月23日
毎日新聞日曜版4月7日「一九九六、段差のある一日」
「三田文学」夏号母親が腺癌のため入院。看護のため帰省。
「越乃寒梅泥棒」
「新潮」9月号母死去
「箱のような道」
「群像」10月号「使い魔の日記」
「群像」1997年1月号「壊れるところを見ていた」
「文学界」1997年1月号「マンガ名作講義」
朝日新聞12月14日「夜のグローブ座」
「一冊の本」1月号「魚の光」
「新潮」4月号「言葉を得た犯罪性」
朝日新聞3月19日「ひとり言お断り」
読売新聞3月28日「単身妖怪・ヨソメ」
「へるめす」7月号「風邪とゲラの間で」
「新潮」6月号「『素足』で踏み込む」
毎日新聞6月11日『パラダイス・フラッツ』
新潮社「極楽からパラダイスへ」
「新刊ニュース」8月号「竜女の葬送」
「文学界」11月号「説教師カニバット」
「文藝」冬季号『太陽の巫女』
文藝春秋「団塊妖怪・空母幻」
「世界」1998年1月号「蓮の下の亀」
「すばる」1998年1月号「全ての遠足」
「群像」1998年1月号父が手術
「抱擁妖怪・さとる」
「世界」2月号「女流妖怪・裏真杉」
「世界」3月号「首都圏妖怪・エデ鬼」
「世界」4月号父が再手術となり、実家の伊勢と大阪に度々通う
『東京妖怪浮遊』
岩波書店「てんたまおや知らズどっぺるげんげる」
「三重県人が怒るとき」
「神話の後で妖怪を」
「新刊展望」7月号「ほらまた始まった馬鹿が純文学は駄目だってさ」
毎日新聞7月7日文藝新人賞選考委員を1999まで2年間担当
「魂の向くまま幻想を紡ぐ」
AMUSE8月12日号「サルにも判るか芥川賞」
「文学界」10月号「大きな本屋の片隅で」
「本の旅人」10月号「時ノアゲアシ取リ」
「一冊の本」11月号「百人の危ない美女」
「文藝」冬季号「文士の森からいちいち言う。」
「東京人」12月号「文士の森だよ、実況中継」
「群像」1999年1月号「文士の森を守るために」
毎日新聞12月21日『説教師カニバットと百人の危ない美女』
河出書房新社インディーズで哲学 魂は自分で守らなければならない
「文藝」春季号インタビュー「アヴァン・ポップ」
共同通信2月「ジャズ・書く・生きる」
「一冊の本」3月号『時ノアゲアシ取リ』
朝日新聞社インタビュー CLICK&CLIP BOOK 笙野頼子さん
「ラ・セーヌ」4月号「論告・論争終結」
「文学界」4月号インタビュー 笙野頼子さん『説教師カニバットと百人の危ない美女』
「女性セブン」3/18号BOOK著者インタビュー 結婚願望のある女ゾンビにイジメられる独身女性の顛末を描く抱腹絶倒の純文学
「anan」3/26号対談 笙野頼子/赤坂真理 そして純文学は復活するか
「群像」5月号「富岡多惠子」月報「『逆髪』解説」
「富岡多惠子」月報「ここ難解過ぎ軽く流してねブスの諍い女よ」
「群像」7月号「墓地脇の通り悪魔」
東京新聞6月26日夕刊「マスコミイエローと純文学」
「本」12月号『ドン・キホーテの「論争」』
講談社「リベンジ・オブ・ザ・キラー芥川」
「群像」2000年1月号「ドン・キホーテの御機嫌伺い」
「文学界」2000年1月号